偉人の伝記というと、ナポレオンとかアレキサンドロスとか、グラッドストーンというようなのばかりで、学者のはほとんど無いと言ってよい。なるほどナポレオンやアレキサンドロスのは、雄であり、壮である。しかし、いつの世にでもナポレオンが出たり、アレキサンドロスの出ずることは出来ない。文化の進まざる時代の物語りとして読むには適していても、修養の料にはならない。グラッドストーンのごときといえども、一国について見れば二、三人あり得るのみで、しかも大宰相たるは一時に一人のみしか存在を許さない。これに反して、科学者や哲学者や芸術家や宗教家は、一時代に十人でも二十人でも存在するを得、また多く存在するほど文化は進む。ことに科学においては、言葉を用うること少なきため、他に比して著しく世界的に共通で、日本での発見はそのまま世界の発見であり、詩や歌のごとく、外国語に訳するの要もない。
これらの理由により、科学者たらんとする者のために、大科学者の伝記があって欲しい。しかし、科学者の伝記を書くということは、随分むずかしい。というのは、まず科学そのものを味った人であることが必要であると同時に多少文才のあることを要する。悲しいかな、著者は自ら顧みて、決してこの二つの条件を備えておるとは思わない。ただ最初の試みをするのみである。
科学者の中で、特にファラデーを選んだ理由は、第一に彼は大学教育を受けなかった人で、全くの丁稚小僧から成り上ったのだ。学界にでは家柄とか情実とかいうものの力によることがない、腕一本でやれるということが明かになると思う。また立身伝ともいえる。次に彼の製本した本も、筆記した手帳も、実験室での日記も、発見の時に用いた機械も、それから少し変ってはいるが、実験室も今日そのまま残っている。シェーキスピアやカーライルの家は残っている。ゲーテ、シルレルの家もあり、死んだ床も、薬を飲んだ杯までもある(真偽は知らないが)。ファラデーのも、これに比較できる位のものはある。科学者でファラデーほど遺物のあるのは、他に無いと言ってよい。それゆえ、伝記を書くにも精密に書ける。諸君がロンドンに行かるる機会があったら、これらの遺物を実際に見らるることも出来る。
第三に、何にか発見でもすると、その道行きは止めにして、出来上っただけを発表する人が多い。感服に値いしないことはないが、これでは、後学者が発見に至るまでの着想や推理や実験の順序方法について、貴ぶべき示唆を受けることは出来ない。あたかも雲にゆる高塔を仰いで、その偉観に感激せずにはいられないとしても、さて、どういう足場を組んで、そんな高いものを建て得たかが、判らないのと同じである。
ファラデーの論文には、いかに考え、いかに実験して、それでは結果が出なくて、しまいにかくやって発見した、というのが、偽らずに全部書いてある。これでこそ発見の手本にもなる。
またファラデーの伝記は決して無味乾燥ではない。電磁気廻転を発見して、踊り喜び、義弟をつれて曲馬見物に行き、入口の所でこみ合って喧嘩をやりかけた壮年の元気は中々さかんである。莫大の内職をすて、[#「莫大の内職をすて、」は底本では「莫大の内職をすて、」]宴会はもとより学会にも出ないで、専心研究に従事した時代は感嘆するの外はない、晩年に感覚も鈍り、ぼんやりとにかかりて、西向きの室から外を眺めつつ日を暮らし、終に眠るがごとくにこの世を去り、静かに墓地に葬られた頃になると、落涙を禁じ得ない。
前編に大体の伝記を述べて、後編に研究のを叙することにした。
序
可以说只要一提到伟人的传记,人们就会想到拿破仑或亚历山大、格拉德斯通等,而学者几乎没有。拿破仑和亚历山大的确雄壮。但是,并不是是任何何时期的社会都能产生拿破仑和亚历山大的。作为文化进化时代的故事即便值得一读也不能成为养料。虽然像格拉德斯通这样的就一个国家而言也许仅仅只有二三人,但是在一个时期却只能允许有一人成为大宰相。 然而与此不同,在一个时期内却能存在十人二十人的科学家、哲学家、艺术家和宗教家,并且存在的越多文化越进步。特别是在科学方面,不需多言与其他相比世界明显具有相通性,日本的发现可以原封不动的成为世界的发现无需像诗歌一样翻译成外语。
基于此,想要成为科学家的人希望有这么一本大科学家的传记。但是,写作科学家的传记不是一件简单的事情。因为首先要有能体验科学精髓的人,同时这个人还要要有文才。可悲啊,反省作者自身,我绝对不具备这两个条件。但是仅仅是想做个最初的尝试。
在科学家里面,我之所以特别选择法拉第是因为:第一,他是没接受过大学教育的人,完全是从学徒成长起来的。在学界没有依靠门第或关系,完全是靠自己的能力。也可以说是立身传。其次他装订的书,做笔记的笔记本,实验室的日记,发明时用的机械虽然有稍微变化,但是实验室今天仍然保持原样。莎士比亚、卡迪尔的家至今也保存着。歌德、席勒的家也保存着,死时睡的床甚至吃药的杯子也保存着(尽管不知道真假)。但是可以说没有像作为科学家的法拉第保有的遗物一样的东西。因此,即使写传记也要细致地写。诸位要是有去伦敦的机会的话,大家可以看看这些实物。
第三,有许多人一旦发现了什么,马上就裹足不前只发表成果。也不是不值得佩服,只是这样在产生新的发明的想法、推理和实验的顺序方法方面不能给予后来者以可贵的启发。这就好比仰望高耸入云的高塔即便感觉壮观却不知把脚放在何处建设如此高的东西。
法拉第的论文,如何想法,如何实验,如果那样的话结果没出来,最后发现等毫无保留地全部记录。唯有这样才是发现的榜样。
而且法拉第的传记绝对不枯燥无味。发现电磁旋转,跳舞喜悦,带着表弟,去看马戏,在入口的地方互相拥挤争吵的状年的朝气跃然纸上。唯有感叹丢弃本职工作,不参加宴会和学会,专心从事研究的时代,晚年感觉迟钝,精神恍惚地靠着椅子从朝西的屋子眺望室外最后像睡着了一样离开人世安葬在墓地的时候不禁落泪。
前篇叙述大体的传记后篇叙述研究的梗概。
大正十二年一月
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